自尊心が低い人と「競争」(9⁻①) [自尊心]

自尊心が低い人の競争の捉え方はまったく異なります。
自尊心の低い人は、勝敗にこだわります。「勝つことは自分(の地位)を高め、負けることは敗北(ダメ)人間になる」と考えます。そのため常に他者を意識していて、他者よりも優位に立ちたい(勝ちたい)と思っています。
自尊心の低い人にとっては、競争は「(相手に)勝つこと」が目的になり、勝つためなら相手の失敗を喜びかねません。プロセスはどうであれ勝てばよいのです。そして、勝つと有頂天になり、負けると「自分は本気でなかった」とか、「今日は体調が悪くて」とかの言い訳を考えるのです。(自尊心の高い人は「勝とうと努力」しますが、負けたからといって悔しがることはしません。悔しがるのは、自分の力を発揮できなかった⦅自分に負けた⦆ときだけです)。
そして、自尊心の低い人は、他者と競争して負けそうなときには、勝たなくても、「負けたくない」という心理が働くのです。つまり「勝たなくても負けない(=引き分け)」という論理です。
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自尊心が高い人と「競争」(8) [自尊心]

まず、自尊心の高い人は「競争」をどうとらえるか? 
自尊心の高い人は、競争には勝ち負けがあり、勝者と敗者をつくることは承知していますが、勝敗にこだわらず、能力を発揮(成長)できるかどうかでとらえようとします。
すなわち、競争は自分の能力(可能性)を引き出す(成長する)チャンスだと捉えます。当然のことながら、個人の力に差があることは分っています。競えば負けることがわかっているときでも、自分よりも力のある人と競争することで自分の能力を発揮(成長)できるチャンスだと考えます。そのため、他者と競争するとき、負けても自分のベストのプレイができたら、成長できて自分に克つ(克己)ことになると考えるのです。(運動選手なら自己記録を更新する)。つまり、相手がつくりだしてくれる障害を受け入れ、それにチャレンジして自分の能力を高めようとするのです。そして、切磋琢磨してお互いにベストの力を出したときにWin-Winの最高の競争ができたと考えます。競争相手は敵ではなく味方になるのです。
このように考えれば、最高の競争には「敗者」はいません。全員が勝者ということができます。
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自尊心と「競争」(7) [自尊心]

現代は競争の時代です。資本主義社会は自由競争を前提として成り立っていますので、どこを見ても競争が当たり前のこととして繰り広げられています。
個人の場合にも、小さいときから受験戦争と言われる同世代間の生き残りをかけた厳しい競争があります。社会に出れば世代を超えた競争が待っています。
そして、どんな立場にあっても競争を避けて通ることはできません。この競争にどう向き合うかということは、マインドセットとしての自尊心が大きく左右しています。
・自尊心の高い人は、競争の良い面(能力を引き出す)を活かして自分を成長させようとする
・自尊心の低い人は、競争の悪い面(勝ち負け)にこだわって自分の行動を決めようとする
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自尊心の高い人は共生(Win-Win)の生き方をする(6) [自尊心]

これに対して、自尊心の高い人は「共生」の論理による生き方をします。それは何故か?
自尊心の高い人は、自分のことがわかっていて、成長するためには自分一人の力だけでは限界があることをわきまえています。そして、自分に足りないところを他の人から教えてもらったり、助けてもらったりして補完しているのです。そして、感謝の念をもって他の人と接することができます。つまり、自分が成長できることなら進んで他の人のアドバイスを受けることも、支援も求めようとするのです。また、喜んで他の人と協力したり、支援の手を指し伸べることができます。
そのような行為を、意識しないで自然体でできる人のことを、自尊心の高い人というのです。
したがって、このような生き方はWin-Winの生き方、すなわち「共生」の生き方になるわけです。
企業や団体等の組織で人を求める場合の人材像も、この共生の生き方ができる人(自尊心の高い人)が最優先されるべきです。

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自尊心の低い人は「比較」の論理(5) [自尊心]

それに対して自尊心の低い人は、ありのままの自分を認めようとしません。常に他者と比較することで自分というものを見ようとします。したがって、自尊心の低い人は、評価基準は自分自身ではなく他者になります。そして、他者と比較することで自分を評価しようとするので、“これが自分だ”という確固たる自分があるわけではありません。比較する相手により変化する不安定な自己があるだけです。
そして、他者との比較で自分を見ようとすると、そこには他者よりも優れているという「優越感」と、他者よりも劣っているという「劣等感」が生じますが、両方とも、低い自尊心の裏表の心理を表しているにすぎません。ときには、優劣つけがたい「引き分け」のことがありますが、そんなとき、人は「負けなくてよかった」と思うことはあっても「勝たなくてよかった」とは決して思わないものです。この考え方の背後には「劣等感」があることがわかります。
したがって、自尊心の低い人の論理は、「比較」から起こってくるWin-Loseの生き方になります。

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自尊心の高い人の論理は「成長」(4) [自尊心]

「謙虚さ」と「成長」が自尊心の高い人の条件だとすると、別の基準が見えてくる。 
自尊心の高い人は、もっと自分を成長させたいと思っている。昨日よりも今日、今日よりも明日と自分が常に成長しようと努力する。
したがって、比較の対象は他人ではなく自分自身だということだ。それでは自分の何と比較するのか。自分を時間の経過の中において、成長しているかどうかを判断するのだ。
例えば、あなたが親なら次のようなことが起こります。
子どもが学校から試験の答案をもって帰ったとします。今回は50点だった。このとき、自尊心の高い親なら、前回はどうだったか、それより努力して向上(成長)したかどうかで判断しようとします。そして、前回より良かった場合には、”よく頑張ったね“とほめ、前回より悪ければ”努力が足りなかった。次にはもっと頑張ろうね。あなたにはそれができるはずだ“ と言って励まします。このとき、他の子どもと比較して”あの子は〇点だったのに、あなたは・・“と”You メッセージ“でフィードバックすることは決してしません。さらに、”頭がよい、悪い、能力がある、ない“という言い方もしません。あくまで”努力“で評価しようとします。そして、努力次第で伸びることを教えようとするのです。
この点については、子どもをもつ親や教育関係者に気をつけてほしいところでもあります。  

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自尊心が高い(3) [自尊心]

自尊心には自分のことをどれだけ信じられるかによって高い、低いがある。
自尊心の高い人は、まず自分のことをよくわきまえている人のことだ。自分の長所・短所、得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなことなど、自分に関することをよく承知していて、嫌なところがあっても「これが自分なのだ」と丸ごと受け入れる(受容する)ことができる人のことだ。つまり、自尊心とは、自分自身を適正に評価する心のことです。過大評価することでも、過小評価することでもない。ありのままの自分を適正に評価する謙虚な心をもつことです。したがって、自尊心の高い人の条件は、まず「謙虚」な人でなければならない。しかしそれだけでは足りない。ありのままの自分を受け入れたうえでさらに良くなろうと努力できる人のことだ。「謙虚さ」と「成長思考」が自尊心の高い人の条件だと言えよう。
これはドウエック教授の「成長思考」の人ということができよう。

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