東日本大震災と原発問題 ブログトップ
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原発災害の報道 [東日本大震災と原発問題]

 3月11日からすでに半月が経っているのに、いまだに犠牲者の数は増え続けている。そして、3月27日現在で、死者10,668人、行方不明者は16、574人と、止まることを知らない。一体いつになったら収束宣言がでて、後は復旧のみという段階になるのだろう。
今回の震災の特徴は、原発の事故を併発してしまったことだ。そして、第一原発の1号機から4号機の3箇所の建屋が吹き飛び、放射性物質を周囲に撒き散らしている。しかも、24日には3号機のタービン建屋地下で、作業員3人が冷却水の1万倍の放射性物質を含む水たまりにつかって被爆したというニュースが流れた。警告のシグナルがでていたのに誤報だと思って無視したという初歩的ミスを犯してしまった。これだけ大騒ぎしている最中に、事故の最前線に立つ現場の危機管理能力を疑いたくなる。本当に大丈夫なのかと不安になってくる。
さらに27日になって、2号機のタービン建屋地下にできた水たまりから10万倍(当初は1000万倍と発表)の濃度の放射性物質を検出したと発表した。これでは復旧作業は遅れるばかりだ。
 原発災害の報道の中で、一つだけ気になることがある。恐らく福島第一原発はダメでも、第二原発、あるいは東北電力の女川原発は無事だったのだろうと思う。特に女川原発の敷地内にある体育館には240人が避難しているという。その違いは何だったのか。それが解かれば、今後の原発建設について一つの指針になるのではないか。
それにしても、今回は地震・津波の被害の収束が起こっても、原発問題が長引くだけに、いつになったら収束宣言が出るかは予想がつかない。
それでも明日を信じて生きていこうとするのが人間なのだ。

5月だというのにもう入梅入り [東日本大震災と原発問題]

 まだ5月だというのに、27日、関東地方に入梅宣言が出された。平年より12日早く、昨年より17日早い入梅という。しかも、時期としては観測史上2番目に早いのだそうだ。
入梅が早いと、梅雨が長引く傾向があるようで、これからしばらくの間(約1ヶ月半)傘を手放せない日が続くと思うとあまり嬉しくない。
ただ一つだけ心配なことがある。今回は台風2号が梅雨前線を押し上げて、大雨を伴って日本列島を縦断し、関東地方に大雨と風をもたらすことだ。それによって、風は福島原発から吐き出された放射性物質を拡散させるだろう。そうすれば、また危険区域外であっても高い放射性物質が検出される恐れがあるということだ。そして雨は、むき出しになった原子炉建屋の地下に溜まって、汚染水が増えるということだ。
その心配を尻目に、サミットから帰国された菅首相を待っている政局は波乱含みになりそうだ。

村上春樹氏の反原発スピーチ [東日本大震災と原発問題]

スペインのカタルーニャ国際賞授賞式(6月9日)での受賞スピーチで、村上氏は東日本大震災と東電福島原発事故にふれ、「原爆の惨禍を経験した日本人は、核に対して『ノー』を叫び続けるべきだった」と発言され反響を呼んでいる。
この点については賛否両論があり、日本でも被災者および市民運動家らが原発の危険性を取り上げて、反対運動を起こしている。
そもそも原発は、最近の傾向として、地球温暖化の切札のように論じられてきており、世界が原発推進の方向に向かっていた。ところが、今回の原発事故を契機にしてその流れが変わってきたように思われる。ドイツ政府は原発廃止を決定し、時間をかけて全廃する方向に動いているし、それに追随する国が出てきそうな情勢である。
日本人は、「危険だ」「便利だ」という二つの名目で「原子力」の問題に取り組んできたように思えるが、これからはそれを両立させていくことが難しくなるような気がする。少しこの問題を考えてみたい。(続く)。


被爆体験 [東日本大震災と原発問題]

不幸なことに、原子力エネルギーの利用は核兵器の開発という道を歩んだところから始まっている。
そして、太平洋戦争を早期に終わらせるという名目の元に、アメリカは1945年8月に、広島と長崎で原爆を投下した。そして、20万人以上の人々が、犠牲になった。
それ以来、日本は平和憲法を制定し、被爆国としての立場を貫いて、非核3原則を掲げて、核兵器に対して「ノー」を言い続けてきたのだ。
1.核兵器はつくらず
2.核兵器はもたず
3.核兵器は持ち込まず
このうち、3(核兵器は持ち込まず)については、日本に寄港する米国艦隊には核巡航ミサイルが配備されていて、この原則が守られているとは言えないことがわかっている。
それでも日本は、核兵器という面では、廃絶を訴え続けているのは間違いない(続く)。

核の抑止力 [東日本大震災と原発問題]

原爆の威力を目の当たりにした世界は、核兵器の開発にまい進していった。
特に、第二次世界大戦後の東西の冷戦構造の中で、核兵器はそれを保有していることが、相手国(敵国)に対して抑止力を発揮するという形で利用されてきた。
それを使えば、相手に対して甚大な被害を与えることができる。しかし、相手からもそれに見合う報復を覚悟しなければならない。したがって、実際には使えない。世界は、そのような無駄な核兵器を大量に保有することになったのである。
そこで、核兵器の拡散を防ぐために「核拡散防止条約」なるものができたが、それを守らない国がでてきてしまった。過去には、インド、パキスタンが、現在ではイラン、北朝鮮などである。
日本も日米安保条約を結び、アメリカの核の傘の下で平和を維持してきたのである。
しかし、この東西冷戦構造は、ベルリンの壁の崩壊(1989年)、ソビエト連邦の崩壊(1991年)という形で崩れてしまった。
その結果、「敵国」が消えるとともに、抑止力の効果は期待できるものの、それほど大量に持つことの意味は薄れてきている。それがアメリカとロシアの間で行われている戦略核兵器削減交渉(条約)である。(続く)。

核の平和利用 [東日本大震災と原発問題]

核エネルギーを兵器として利用することの流れを見てきたが、この道を追求すれば人類は悲惨な目にあうことは自明の理だ。それが解っていながら廃絶できないでいるのは、人間がおろかなことの証明になるし、まだ国の成り立ちがナショナリズムがベースになっているからに他ならないだろう。
だからこそ、日本は被爆国として核兵器廃絶を訴え続けなければならないのだ。
一方、核エネルギーの平和利用の道もあり、それは人類にとって大きなメリットと明るい未来をもたらすものだ、と思われている。それが原子力発電としての利用の仕方である。
この道は、エネルギー供給という面で大きなメリットがあるが、コントロールが利かなくなったときには、甚大な被害をもたらすことになる。いわば両刃の剣だということだ。それが今回の東電福島第1原発の事故で証明されたことだ。(続く)

原発と原発事故 [東日本大震災と原発問題]

日本が原子力発電に取り組むようになるまでには、いくつかの段階とハードルがあった(日本経済新聞「日本の電力 民営の成り立ち」橘川武郎)ようだ。
日本でも、発電のエネルギー源として利用されたのは、主に石炭や石油などの化石燃料であったが、石油ショックを契機にして、日本はコスト面と効率面から原子力発電にカジをきることになる。これは先進国共通の傾向のようだ。つまり、「脱石油の切り札」として必要性が高まり、数多くの原発が建設されたのだ。
そこまではよかった。ところが、安全だと言われていた原子力発電に赤信号が点灯し始めたのである。国内では、1974年、日本初の原子力船「むつ」が放射能漏れ事故を起こし、当局が保証していた「絶対安全」が崩れ去った。また海外では、アメリカのスリーマイル島原発で原子力発電史上最初の事故が発生(1979年)し、原子力利用の危険性に対する認識が高まった。
それに輪をかける出来事が起こってしまった。1986年にはソ連のチェルノブイリ原発事故が発生し、原発は高い危険性をはらんでいることを世界に示したのだ(続く)。

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