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大人になれない子どもたち(1) [現代の若者考]

子育てコーチングからはじまって、最近の若者考まで書いてきたが、これらをまとめると「大人になれない子どもたち」と言うことができる。
統計的に見ると、少子化を背景に一家族には1人か2人の子どもが生まれるが、核家族ということもあり、母親はほぼすべての時間を子育てに費やすことになる。そして、子どもは、生まれたときにはすべてを与えられ、なに不自由なく育てられる。自分の周りは大人ばかりで、子ども同士で遊ぶことは少なくなった。
そのため、ケンカをすることもなく、常に自分の意思が通る環境で育つことになります。ほめられることはあっても叱られることはありません。
ところが、幼稚園や小学校に入ると、子どもたちは自分と同じような仲間と一緒に生活することになります。そこでは、どのような関係をつくればよいかわかりません。今までは、本人が困るようなことはなかった、あっても大人がすべてを解決してくれたので、自分は何をしなくてもうまくやれた。(続く)


大人になれない子どもたち(2) [現代の若者考]

ところが、幼稚園や学校にはそのような大人はいません。今までは、自分が困れば必ず大人が飛んできて、それを解決してくれました。しかし、自分だけの面倒を見てくれる人はいません。先生は皆を公平に扱おうとするから、自分だけを特別扱いしてくれません。
子どもは、経験したこともない新しい環境に投げ込まれることになるのです。
そんなとき、子どものなかには、親の元に帰りたい、自分のわがままが通る家庭に帰りたいと思うようになります。そして、幼稚園や学校へ行くのは嫌だという反応が出てきます。
このようなとき、今の親は「うちの子の面倒を見てくれない」と言って文句を言います。それがひどくなったのがモンスター・ペアレントと言われる親です。この親にとっては「自分の子ども」のことしか頭にないのです。そのため、自分の子どもの悪いところには目をつぶって、「学校が、先生がけしからん」と言って文句をつけてくるのです。(続く)

大人になれない子どもたち(3) [現代の若者考]

そのような親から育つ子どもは、親に甘えて、自分の意思で意思決定できません。
何かあると親に相談し、決めてもらうことになります。親のほうも、親の言うことをよく聞いてくれるし、素直な申し分のない子どもに見えるのです。
そして、このような子どもは反抗期がないのか、あってもあまり目立たないのが普通です。
このような「甘えと依存の関係」が成りたっているのが現在の典型的な家庭像であるということができます。
これは、タテ社会の構図ですが、そのような小さな社会で生きてきた子どもが、今度は一挙に「横の関係」のなかに立たされるのが学校というところです。それは「自立と共生」の関係を要求するところです。(続く)

なお、このブログを書き始めてから昨日までで、アクセス数が10,000件を突破しました。読んでいただいた皆様に感謝します。

大人になれない子どもたち(4) [現代の若者考]

学校は自立を求めるところです。それは一方で甘えを拒絶することになります。
したがって、なんでも許される「家庭」という環境で育った子どもには、甘える対象がなくなってしまう―これが学校というところです。
先生は「自立」を尊重するという名目で、あまり子どものやっていることに干渉しません。子どもたちがケンカをしていてもあまりその輪に入ろうとしません。もちろん面倒だから入らないということもあるのでしょうが、建前として生徒の自立を尊重するという口実があるわけです。
そのとき大半の子どもはうまく立ち回りできるのでしょうが、大人の中で「甘えと依存の関係」で育った子どもにはそれができません。そのためイジメの対象になったりします。(続く)

大人になれない子どもたち(5) [現代の若者考]

そのようなとき、親は我慢できなく子どもの同士の世界に出て行くことがありますが、それが子どもの自立を損なうことに気づきません。
親のほうは、今現在自分の子どもが困っている、それを何とかして解決してあげないとかわいそうだ、と思って出て行くのだ。
大人がでれば、子どもたちはわかったような振りをしてその場をおさめるが、親がいなくなれば、あいつはけしからん奴だと仲間はずれになったり、イジメの対象になってしまう。
親がでていくことで、子どもが自分で物事を解決する能力を奪ってしまうことになるのだ。
親はそれに気づく必要がある。親にとって必要なことは、親がいなくても子どもが自分の手で物事を解決する能力をつけさせることだ。すなわち、子離れこそが親に必要な態度だということだ。
そのような体験を通じて、子どもは親を超えていくことになる。そのことに気づかず、いつまでも親がかりの場合は、子どもは自分で解決する能力が身につかないで親に「依存」することになる。つまり、大人になれない子どもをつくってしまうのだ。(続く)。

大人になるということ [現代の若者考]

大人になるというのはどういうことか?
大人になるとは、サムエル・ウルマンを持ち出すまでもなく一定の年齢に達することをさすのではない。20才をすぎても子どものような人をいくらでも見つけることができる。そうではなくて、親や周囲から独立しながら、他人との間に相互依存の関係を築ける「こころの様相」のことである。したがって、次のような条件が備わることだと言ってよい。
1.自分のことは自分で意思決定できること
2.セルフコントロールができること
3.他人の気持ちを理解でき、協調できる
つまり、自分としっかり向き合いながら、他人とも協調関係を保てることをいう。
ところが、日本の現状を見ると、いずれも満たしていない、といってよい。


大人になれない子どもたち(6) [現代の若者考]

これまで見てきたように、今の子は、小さいときから大人に囲まれて育ち、何から何まで親(母親)の目が行き届いている。そのため、子どもがほしいと思っていることも、親はそれを察して与える。
何か危険なことがありそうだと、親が先回りして行動を回避させてくれる。
自分で意思決定しなくても、親が自分に代わって決めてくれる。
このような環境の中で育つと、子どもは、自分にとって快適な環境を「家庭」に求めてしまう。親から自立することも、家から独立することも考えない。それは面倒なことだと考えてしまう。こつこつ勉強することも面倒。それより自分の好きなことをやっているほうが気楽だ。働くことも面倒になる。「気楽に好きなときに働けばよいことはないかな」という論理だ。
一方、親のほうもそれを許してしまう。
これが、いま日本で問題視されている若者の現象だ。これを病理と見るか、一般的な現象と見るかによって処方箋が違ってくる。


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