現代の若者考 ブログトップ
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自尊心が低い人の特徴 [現代の若者考]

彼らの自己肯定感というのは、いってみれば一種の優越感であり、それが崩れたときには劣等感を抱くということです。優越感の裏返しとして彼らは劣等感を感じるのです。
ということは、優越感はしっかりした自己という土台の上に打ち立てられたものではなく、相対的に他人との関係で表される根拠のない自尊感情だということができます。
一方、本来の意味での「自尊心」とは、自分自身に対する絶対的な信頼感情であり、どんな状況にあっても、他人との関係がどのようなものあってもゆるぎません。それは、自分との関係で生み出される感情だからです。
このように見れば、優越感とか劣等感というのは、自尊心の低い人の特徴と見ることができます。彼らに興味があるのは、常に自分のこと(エゴ)であり、極論すれば自分の(問題解決の)ために他人がある、という図式が見えてきます。これこそが、ミーイズムの本質です(続く)。

不可侵のルール [現代の若者考]

このように見てくれば、現代の若者のほとんどが他人との関係で自分の立場を考える環境(自尊心が低い)で育ってきたといえるでしょう。
このことは大変不幸なことで、常に他人を意識しながら、優越感、劣等感を感じながら生きているということで、心の休まるときはありません。彼らは、ありのままの自分を認めたうえで素顔で他人と向き合うことは大変苦手です。そのため、他人とは、たとえ友人であっても、面と向き合ってぶつかることをしないで一定の距離を保って付き合うことになるのです。
そして、自分もある一線を越えて他人の領域に入り込むことをしない代わりに、他人にもこれ以上は入ってきて欲しくない領域(バリアー)をめぐらしているのです。
しかも、それをお互いに「暗黙に」認め合っていて、不可侵のルールを守っているのです(続く)。

ヤマアラシのジレンマ [現代の若者考]

ドイツの哲学者ショウペンハウェルに「ヤマアラシのジレンマ」という寓話がある。
ある寒い冬の日、あまりに寒いのでヤマアラシはお互いに身を寄せ合って寒さをしのごうとする。
しかし、自分の身体に生えている針で相手の皮膚を刺してしまう。痛いのでヤマアラシは離れることになる。それでも寒いので、また身を寄せ合おうとする。するとまた刺して離れる。
このようなことを繰り返しているうちに、ヤマアラシは傷つかない適度の距離を見つける。
しかし、これは安全な距離であって最適の距離ではない。近づきたいが、これ以上近づくとお互いに相手を傷つけ合うので近づかない。
この寓話は、現代の若者達の立場をよく表現していると思われる。
すなわち、現代の若者達はメールでやりとりする友達はいても、面と向かってぶつかることはしない。それは、できないのではなく、しないのだ。しかも怖くてしないのだ。一人ひとりが自分のテリトリーをもっていて、他人の領域にそれ以上はいらない代わりに、自分の領域にも入ってもらいたくない、そういう付き合い方をしているのだ。皆孤独なのだ(続く)。

携帯電話の普及 [現代の若者考]

現代の若者考に戻ります。
前回述べたようなつながり方は、お互いにつながってはいるが、弱いつながりといえます。
彼らは、つながっていること自体が大切なのであって、どんな内容でつながるかは重要なことではない。つまり、テーマのないネットワークができあがるのです。
携帯電話の普及がいっそうこの環境を促進しました。
携帯電話は、当初は移動体通信としての機能がもてはやされて、どこにいても電話できる便利さが重宝がられましたが、今ではメール機能が重視されています。メールなら声をだす必要がないので他人に迷惑をかけることはないからです。そのため、電車の中でも、食事をしながらでも、場合によっては教室で授業を受けているときでも、若い人が携帯を開いて忙しげに操作しています。なんとも異様ですが、今では珍しい光景ではなくなりました。そして、統計によれば、多い人は1日80回とか100回ぐらいメールでやり取りしているという。しかも同じ人と何回もやり取りしているといいます(続く)。

メール友達 [現代の若者考]

ある統計によると、メールをだしてその返事がこないと不安になるだけでなく、24時間(1日)たっても来ないときは「怒り」を覚える、という。そして、他の友だち(メル友)にその人のことを悪く言うメールを出すこともあるという。
たとえ、メールの中身がたいした用件でなくても、「返事がこない」ということには敏感に反応するのです。こうしたつながりだけで彼らの関係が成り立っており、これが友人関係の実態です。
そして、ネットワークに入っていて、自分達のルール(X時間以内に返信するという暗黙のルール)に違反した仲間を排除します。親しかっただけに、怒りや憎しみも大きくなります。
今まで友人として付き合ったものが、一挙に「村八分」になる構図が見えてきます。
そのようなとき、「相手に何かメールを出せない理由があったのだろう」と考える余裕はなく、一方的に「けしからん」となるのです。
つまり、相手のことよりも自分のことしか頭にないのです(続く)。

他人を見下す若者 [現代の若者考]

このような若い人のことを、速水敏彦氏は「他人を見下す若者たち」と言っている。
そして、最近の若者の特徴は、すぐに「キレる」ところにあるという。「何故そんなささいなことでと思われるようなことで、若者たちはすぐに怒りを爆発させ、思いもよらない行動を起こす。」
自らには優しさを求めながら、他人に対してはまったく優しくなく、きわめて自己中心的な若者。
一方、正岡信男氏は、「他人を許せないサル」のなかで、「注目するものに群がるように、日本人の心はケータイに鷲づかみされてしまったかのようだ」という表現をしている。
最近の若者考の文脈の中で、お二人の考察を紹介したい(続く)。

他人を見下す若者たち [現代の若者考]

まず、速水敏彦氏の見解から見ていこう。
速水氏は、「他人を見下す若者たち」のなかで、次のように述べている。
最近の若者は関心が自分だけに集中し、社会や他社への関心はきわめて薄い。まずもって自分の欲求を充足することだけで頭がいいっぱいで、他人が自分の行為をどう受けとめているかに、思いを巡らすことができないのである。
・・・・・・・・・。
こういう若者に限って、自分の迷惑行為を迷惑と感じないのに、他社の迷惑行為に対しては敏感に反応するように思われる。これもおそらく、自分の方が大きい、立派だという気持ちが無意識に働くことによって、相手を強く非難することになるのだろう。
そのうえで速水氏は、「仮想的有能感」なる概念を用いることで現代の若者たちのメンタリティ、行動傾向を説明している。
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