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大人になれない子どもたち(7) [現代の若者考]

このような現象を一部の特定の子どもだけに起こることだとすれば、その原因は一人ひとりの子どもの特質に問題があるとして処理されてしまいます。そして、「あの子は特殊な子どもだから」といって白い目で見られることになります。
ところが、これは一般的な傾向であり、普通の子どもにおこる現象だと捉えられれば、日本社会の根幹に関わる由々しき問題として、親子の関係、幼児教育や学校教育などの問題として総合的に考えられるようになります。
しかし、注意しなければならないのは、「これは皆の問題だ」と言ってしまえば、「それはだれの問題でもない」、「自分とは関係ない」と知らん顔をする人が出てくるということです。今の日本はそういう状態であり、当事者それぞれがどういう問題をもっているかを明らかにする必要があります。

子どもが大人になるということ(8) [現代の若者考]

私は、これらの問題の所在は子育てのプロセスにおける親子の関係にあると考えている。
すなわち、親子の関係は、生まれてから成長していく過程で、子ども(0%)、親(100%)の関係(I am not OK, You are OK)から徐々に親離れして(親から見れば子離れ)いって、何回かの反抗期、特に思春期を契機にして、この関係が逆転する(I am OK, You are not OK)のが正常な姿だと思っている。これが、子どもが大人になっていく(親や教師を超える)という意味である。
また、これがエリクソンの「同一化から同一性へのプロセス」と言われることである。
これを図で示せばよくわかることだが、省略する。



大人になれない子どもたち(9) [現代の若者考]

子どもが思春期を境にして親離れしていけば、子どもは大人に育っていく。
そのためには、子どもが小さい時から親は徐々に子離れしていかなければならない。今の親にはこれが難しいのだ。親は子どもが大きくなっていってもいつまでも「子ども」だと思っている。子どもが自分から離れていくのをかえって不安になるのだ。そのため、親は子どもを手元に留めおいて、何でも先回りして子どもの行動を管理しようとする。そして、子どもの好きなことは何でも与えて、甘やかしてしまう。すると、子どもは親に依存してしまって、独立する機会を失ってしまう。
そして、親離れできないでいると、子どもは相変わらず親の管理下におかれて、一人立ちできなくなる。つまり、いつまでも I am not OK, You are OKの関係が継続されるのだ。
I am OKと言えるためには、「自分は何者なのか?」という問いに答えようと自分自身と格闘する必要があるが、このプロセスがすっぽり抜けてしまっている。これが今の若者の姿なのだ。



モンスターペアレント [現代の若者考]

モンスターペアレントというのは、学校に対して「自己中心的な理不尽な要求を繰り返す」保護者のことだと思っていたら、どうやらもっと広い範囲で使われるらしい。
つい最近の新聞報道によると、「子どもの万引き」が増えているという。
警視庁の統計によると、今年1~6月に万引きで摘発された子どもは前年同期比で8.2%増の13、726人にのぼるという。その多くは書店による本の万引きだが、捕まえて親に連絡すると「なぜ捕まえた」「通報されて子どもがショックを受けた」などと、逆に店に対して理不尽なクレームをつけるケースが増えているのだ。なかには、万引きした子どもを叱りもしないで、「商品を子どもが取れる場所に置いている店のほうが悪い」と言って難癖をつける親もいるという。
このような親は、店にクレームをつけることで子どもをかばっている積りなのだろうが、それを入り口にしてかえって子どもを他の犯罪に走らせることになる、ということに気づいていない。子どもを叱れない親があまりにも多すぎる。
子どもをしっかりした大人に育てるには、まず親の教育をしなければならない、ということか。

モラトリアム [現代の若者考]

久々に「モラトリアム」という言葉を聞いた。「モラトリアム」というのは、小此木啓吾氏の本「モラトリアム人間を考える」から有名になった言葉であるが、どうやらこの使い方のほうが後輩で、本来は金融関係のほうが先輩のようだ。すなわち、新政権の金融担当大臣が発言した「困っている中小企業のために金融機関から借り入れた元本や利息を一定期間猶予しようという」・・・そういった使い方をいうのだ。
この取り扱い(モラトリアム)をめぐっては、そう簡単にはいかないだろうが、言葉のほうは一人歩きしているようだ。
ところで、小此木氏が使ったのは、子どもが大人になる前の一種の猶予期間という意味である。高学歴社会になり、社会に出て自立する前の期間が長くなるので、その期間はしっかりと自分と向き合い、自己を磨いてほしいというのだが、それをいいことにして、いつまでも定職につかない若者が増えている。
しばらくこの問題を取り上げてみたい。

モラトリアム(2) [現代の若者考]

発達心理学では、子どもが自我を確立する時期は、個人差があるものの中学生になってからだと言われている。日本ではその時期に多くの子どもが高校受験の勉強に追われる。そのため、自我が確立する大切な時期に、「自分とは何か」、と自問する余裕がない。受験本以外の本を読む時間もない。
親は、家庭生活を子ども中心におき、勉強以外のことでは、本人がしたいことはできるだけ満たすように気配りをしている。
高校に入ってからも今度は大学受験が控えている。親は引き続き子ども中心の生活を余儀なくされ、子どもが勉強している(振りをしていても)かぎり、他のことは大目に見るという態度をとる。
そのような親を見ていて、子どもは大人になるのは大変なことだと思うようになる。大人になれば、責任だけ重くなり、したいこともできなくなってしまう。自分の親のように、わが子のために犠牲的な生き方をしなければならない。大人になるメリットは感じないのだ。

モラトリアム(3) [現代の若者考]

このような高校生が大学生になっても、メンタリティは変らない。彼らは「何かをやりたいがために大学に入る」という意識がない。皆が行くから、親が勧めるから、働くのが嫌だから等いろいろな動機で大学に入るが、残念ながら「もっと勉強したいから」という本来の意味での動機ではない。そのため、大学に入ることだけが目的になってしまう。
それでも大学に入ると、受験勉強から解放されるし、親の管理から独立した生活ができるようになるなど一時は自由を謳歌して「これでやりたいことができる」と思うようになる。
しかし、彼らは受験勉強に追われて「自分は何者か、何をしたいのか」を自問したことがないので、「自由である」ことがかえって苦痛になってしまうのだ。つまり、なにをして時間をつぶしていいかが解らない。その結果、「自由と時間」をもてあましてしまうのだ。


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