ベルリンの壁の崩壊 [日記]

今日(11月9日)は、ベルリンを東西に分断していた「ベルリンの壁」が崩壊して20周年にあたる。私は、その1週間後にはベルリンに立ち寄る機会があって、あの「歴史的な瞬間」に立ち会うことができた。日本を発つ前には、壁の上に立って沢山の人々がハンマーで壁を砕くシーンを見ていて、大きな変革の時代がくることを予感させた。1週間たっても、ベルリンにはその時の興奮が覚めやらぬ雰囲気があった。
その後の変革とは何だったのか。
東西ドイツの統一、ソ連の崩壊により、東西の冷戦構造はあっけなく崩壊した。
そして、IT革命と共産圏を巻き込んだ形でのグローバリゼーションの波が重なり合う形で襲ってきた。
「IT革命」は、アメリカが冷戦時代に膨大な国家予算を投入して開発した基幹技術の民生転換の結果生まれたものである。
一方、「グロ-バリゼーション」は、共産圏諸国の市場経済への組み込みという冷戦後の「大競争時代」を意味した。それを主導したのがアメリカであり、アメリカの一極支配がしばらく続いた。
そのアメリカも、イラク戦争と金融バブルの崩壊でつまずいてしまった。多極化が進む中で、世界はどこへ向っていくのであろうか。20年という時間は、あっという間に過ぎてしまう。

今年の終わり [日記]

このブログを立ち上げて、ほぼ1年が経過しました。最初に書いたのがオバマ大統領の「変革と希望」(1月22日)についてでした。
その間、土ー日および出張で不在のときを除けばほぼ毎日書くことができました。
よく続いたものだと思うが、その間のアクセス数は16,000件を越えました。読者の皆さんに感謝します。
ところで、今年はリーマンショックの余波を受けて、先進国が軒並み地盤沈下するなかで、発展途上国が浮上してきて様変わりの勢力図が現れてきた年になりました。変革はあったが、希望が見えない1年となりました。
そんななかで、日本は政権交代という「変革」を選択しました。この選択が正しいものであって、来年には「希望」が見える年になるよう期待したいものです。
よい年を迎えられますようお祈りします!

2010年のスタート [日記]

2010年という年が始まった。毎年のことだが、初詣に行ってこの1年がよい年であってほしいとお祈りをしてきた。
新年をスタートするに当たり、昨年はどんな年であったのか振り返ってみたい。
2009年は、ベルリンの壁が崩壊して20年にあたるが、私は1989年11月9日の1週間後にブランデンブルグ門の前にたって、あの歴史的瞬間に立ち会っていた。
そして、世界は確実に変わることを身体で感じていた。
その後の変革は何だったのか。資本主義対共産主義という東西の冷戦構造はあっけなく終わり、その後アメリカの一極支配が20年間続いた。しかし、そのアメリカも、イラク戦争と金融バブルの崩壊でつまずいてしまった。「変革と希望」を掲げて出てきたオバマ政権には、歴史的必然性があった。その後に表面化してきたのが先進国対発展途上国という南北問題である。地球温暖化対策をめぐるCOP15での対立はまさにそれを象徴するものである。
その間、日本も平成の世になり20年が経過した。そして、昨年は政権交代という歴史的転換を迎えたが、新政権は自民党政権下の負の遺産(多額の国債残高)を抱えて身動きできないでいる。20年前につけた大納会の株価38,915円は、昨年には10,546円まで下がってしまった。
これが世界と日本の立ち位置である。そして一つだけ言えることがある。それは先進国の間には変革はあっても希望が見えないことである。日本にもそれが言える。
閉塞感を抱えたまま越年してしまったが、政権交代を選択したことが正解であって、「希望」が見える年になるよう祈りたい。

人口に関する二つの統計 [日記]

昨年末に、人口に関する二つの統計が発表された。
一つは人口動態統計(推計)。もう一つは交通事故死の統計である。いずれも保険に直接関係しているので、興味をもって見ている。
人口動態統計では、昨年の出生者数は106万9千人で、うるう年で微増した08年から一転して減少した。一方、死亡者数は114万4千人で、9年連続の増加になったという。出生数から死者数を引いた人口は、マイナス7万5千人で、自然減は3年連続となった。まさに高齢社会を地でいっている数字がでてきた。
しかも、1人の女性が生涯で産む子供数を示す合計特殊出生率は1.37人(推計)程度になるというから、いよいよ出生数が上向く可能性は低いと見ざるを得ない。
日本も、子供は社会で育てるものという風潮が出てこない限り出生数が増えることは期待できないようだ。
一方、交通事故死は減少傾向が著しい。昨年1年間の交通事故による死亡者は4914人で、9年連続の減少となった。そして、ピーク時の1970年の29%の水準にとどまっている。
警察庁は、改正道路交通法の施行で、飲酒事故が減少し、シートベルトの着用が義務付けられたことが減少につながったと分析している。
これらの傾向が続けば、保険の商品設計に影響が出てくることも予想される。
その意味からも、これらの統計から目を離せない状況が続きそうだ。

阪神淡路大震災 [日記]

1月17日は阪神淡路大震災が発生して15年目。
追悼式典と記念行事の報道を見ると、街並みはすっかり復興していて、あの日の面影はなくなっているが、被災者にはしっかりと残っている。被災者のインタビューを聞くと、「ただ祈るのみです」という声には複雑な思いを感じる。自分はたまたま生き残ったが、場合によっては・・・という生と死を分けた一瞬の出来事をどうしても忘れることができない。この日を迎えるたびに肉親の顔を思い出し、生き残っていたら・・・と思い、冥福を祈るのだと思う。
また、あの震災で生き残った人の多くが高齢となり、誰にもみとられず「孤独死」をとげるケースが多くなったという。その意味では、震災は終っていない。
 海の向こうでは、ハイチでM7の大地震が起こった。その映像を見ると,ついつい阪神淡路大震災と重なってしまう。1日もはやい復興を祈るのみだ。
私達はどうやら死と隣り合わせ(死を背負って)生きているようだ。毎日それを思っているとしんどいが、たまには思い出したいことだ。そうすれば、生きることへの素直な感謝と、今を真剣に生きる意欲がわいてくる。

 

安保50年ー老人のつぶやき [日記]

長く生きてくると、周年事業なるものに出くわすことが多くなった。それもだんだん長いものになっていく。
その一つが安保(日米安全保障条約)だ。1月19日で署名50周年となった。この半世紀、日本はアメリカに守ってもらう代わりに、米軍に日本国内の基地を提供するというもので、日本の安全を確保する基盤となってきたことは間違いない。
ところで50年前、日本では若者達が国会議事堂をめざしてシュプレヒコールで「安保反対」の気勢を上げながらデモ行進した。そして、浅沼委員長(社会党)が壇上で倒れ、樺美智子さんがデモ行進中に倒れるなど、多くの犠牲を伴いながら条約は批准された。
その間、全共闘世代なる言葉も生まれ、若者達は熱病に取り付かれるようにエネルギーを発散させた。
その世代も、今では好々爺となり、この50年をそれぞれの思いで振り返っているに違いない。あのエネルギーは今はないが、この50年を生きてきて、自分の人生は何だったのだろうと思うことがある。あのエネルギーが懐かしい。

ブログ一年 [日記]

 昨日(1月21日)でブログを書き始めて1年になった。最初のテーマは「変革と希望」を掲げて当選したオバマ大統領についてであった。
その後の1年はどうであったか。プラハでの核廃絶演説、ノーベル平和賞の受賞まではよかったが、国内では支持率も低下し、苦戦を強いられているようだ。
その一番の要因は、医療保険制度の改革である。国民皆保険を目指して何とか上院をパスしたが、下院での通過は目途がたっていない。
この法案には共和党が反対しているが、背後には人種問題があると言われている。すなわち、医療保険で救われるのは低所得層(黒人が多い)であるが、一方で負担増を強いられる層もあり、それらの人々からは「医療保険より雇用が先だ」という声が上がっている。
亡くなったケネディ上院議員の補欠選挙でも共和党が勝った。オバマ大統領の足元は必ずしも磐石ではない。
黒人初の大統領として鳴り物入りで登場したオバマ大統領が、人種問題を内包するテーマで苦戦しているのは、見ていて忍びがたい。Yes we can! というフレーズを取り戻して欲しい。

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