トヨタがおかしい [日記]

最近のトヨタがおかしい。
昨年11月にアメリカでアクセルペダルの不具合から大規模なリコールを実施したばかりなのに、今年になってまた同じような問題が起こってきた。トヨタは21日、アメリカで販売した「カローラ」などのアクセルペダルの戻り方に問題があるとして、約230万台を対象にリコール(無料の回収・修理)を実施すると発表し、26日にはリコールの対象となった8車種の販売を一時停止すると発表した。
国内では、違ったメーカーの部品が使われているのでこの種の問題は発生していないようだが、ヨーロッパでは、アメリカのメーカーが作った部品を使っているようで、アメリカと同じ問題に発展する可能性があるという。
トヨタといえば、カイゼン運動とそれによる高品質が売り物のはずだったが、ここにきてそれがおかしくなったのではないか。
世界一のGMはすでに昔の面影もなくなり、トヨタが世界一となったが、頂点を極めた瞬間から転げ落ちるように坂を下っているのではないかとさえ思わざるを得ない。
世はエコカー・ブームで、トヨタはHV車で世界をリードしているが、本命は電気自動車のはずで、それが主力になる日はそう遠くないだろう。しかも、電気自動車の技術はそう難しくなさそうで、新規参入が増えてくることが予想される。そのとき、トヨタはどのようなシナリオを描いているのだろうか、興味がつきない話題である。

無縁社会にっぽん [日記]

 今年(2010年)になって、NHKが「無縁社会」というスペシァル番組を放送している。
なかなかの番組で見ている人も多いと思う。
報道によると、今の日本では、無縁死(行旅死亡人という)といって身元不明で誰も引き取り手がいない人が年間32,000人もいるのだそうだ。このような人は、亡くなっても遺体や遺骨を引き取る者が現れないで、直接焼却場に持ち込まれて無縁仏になっているという。なかには親族がいても長い間没交渉で受け取りを拒否するケースもあるという。
一方で、無縁死の現場では、特殊清掃業者というビジネスが成り立っている。これは、死んでも身元不明(氏名不詳)の場合には、誰かが死亡者を焼却場に運ぶとともに部屋の後片付けをする必要があるということで、それをビジネスにしているのだ。
この背景には、ますます高齢者がふえていく日本の高齢化がある。しかも単身の高齢者は病気を抱えている人が多く、ある日ぽっくりいっても誰にも知られずに放置されることになる。そのような人が無縁死を迎えることになるのだ。
このような現象は、日本社会の底流にあった次のような三つの絆が失われた結果から起こっていることである。
① 家族とのつながり(絆=血縁)を失っている。
② 故郷とのつながり(絆=地縁)を失っている。
③ 会社とのつながり(絆=社縁)を失っている。
つまり、高齢になって、一人暮らしを余儀なくされている人たちは、社会から置き去りにされて、文字通り「独りでひっそりと暮らし、死んでいく」道しかないのが実態だと言うことだ。安心して老いることが難しくなった、安心して死ぬことすら難しくなった、それが無縁社会の実態なのだ。
2030年には、女性の4人に1人、男性の3人に1人が未婚のまま老人になるという統計がある。そのとき、無縁死は当たり前になってしまうのか。
日本もアメリカもすでに成熟社会に入っているが、かって夢見た成熟社会のイメージとは大きくかけ離れている。生きづらい世の中になったものだ。



無縁社会にっぽん(2) [日記]

2月3日には刑務所の入所者のレポートがあった。
ここでも、受刑者の高齢化が進んでいるという。受刑者は刑期を終えて出所しても、帰る家(離婚している)も、故郷(受け入れてくれない)もない。拠り所をなくしている。住所不定では職にも就けない。持ち金が尽きたところでまた罪を犯す。それを繰り返すうちに10回以上になってしまう。そして年を重ねていくのだ。
刑務所という所は、受け入れを拒否できない唯一の施設になっている。そこは確実に受け入れてくれる。しかも安全であり、生きることは保障されている。一種の社会福祉施設になっている。
ある受刑者のインタビューがあった。
「もうすぐ出所することになっていますが、すぐに戻ってくることになるのでしょう。そしてそれを繰り返すうちに死んでいくのでしょう」と。
マズローの言う「生存の欲求」と「安全の欲求」を満たすことができた人は、上の欲求を目指すはずだが、その道は閉ざされてしまっている。

養育放棄と親の教育 [日記]

このブログを書いている最中に、埼玉と奈良で親による虐待が原因で子どもが死亡した、という痛ましい事件が続けてあった。子どもはいずれも保育園などに通っておらず、それらの家庭と近所との関わりも限られていた。それだけでなく、児童相談所などが問題の家庭と接触しながら虐待死を防げなかったという。一般的にそのようなケースが多発しているという。
原因や動機はどうであれ、人間として失格の両親の元に生まれてきた運命を嘆くだけでは、問題の解決にならない。子育ての前に、若者達に人間教育を施すほうが先のように思えてくる。
個人の問題にしてしまえば、問題を起こした当人だけの問題として処理されてしまうが、こういう若者が多いとしたら、それはもう社会問題として考えなければならないだろう。
そして、結婚しようとする若者達に、親であることと、親になることの違いをしっかり教えて、自覚をもって結婚するよう教えていく必要がある。
その上で、地域で子育てをするという視点がでてきてはじめて、少子化の問題が解決するのではないか。


非核三原則のまやかし [日記]

故佐藤栄作首相が非核三原則を国策として打ち出し、それが評価されてノーベル平和賞をもらったとき、被爆国として当然のことと思ったことを今でも覚えている。それがどうやらオカシイという噂が立ちだしたのはアメリカの公文書が公開されてからだ。三原則のうち、核兵器を搭載した艦船の寄港は事前協議の対象外とする密約が日米間にあった、とするものだ。そのため、寄港の事実が証言されても、歴代の日本政府は「事前協議がないから核持込みもない」と珍妙な理屈を繰り返してきた。岡田外相も「核持込はなかったと言い切ることはできない」と述べている。今回の調査では、明確な文書はがない「広義の密約」だった、つまり「暗黙の合意」があったと指摘している。
「やっぱり」という思いと、「いまさら」という思いが交錯するが、日本は核の抑止力の恩恵を受けてきたのも事実だ。それを認めた上で、この三原則を安保改定50周年(今年)後の日米関係にどう反映するのか、今度は国民の見える形で議論してもらいたい。


郵政改革法案の行方 [日記]

3月24日、郵政改革法案の概要が発表された。日本郵政は郵便局会社、郵便事業会社の2社を合併し、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険を傘下におく。これにより、郵政事業は現在の5社体制から3社体制に再編するというもの。
亀井担当相は「これにより、ユニバーサル(全国一律)サービスをきっちりと成し遂げていく」と述べている。
この改革法案の成立にあわせて、政令改正で、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額を1000万円から2000万円まで引き上げ、かんぽ生命の保障限度額を1300万円から2500万円まで引き上げる方針だという。更にかんぽ生命には、現在禁止されている第三分野の保険商品(がん保険、医療保険、介護保険など)の販売が解禁される。
これら一連の動きは、小泉政権が行った郵政改革(分割民営化)の反対路線であり、民間銀行および保険会社から「民業の圧迫だ」と反対の声が上がるのは必至だ。
一方、閣僚からも「まだ閣内で議論されていない」という発言が出ているので、このまますんなりとは行かないと思うが、今後の日本の将来像をどう描くのかに関係するだけに注目していきたいものだ。

沖縄の基地問題とフリーライダー論 [日記]

沖縄普天間基地の移設問題の対応を見ていると、フリーライダー論を思い出してしまう。フリーライダーとは、いったん誰かが費用を負担したり犠牲を払ってつくったものを、それ相応の負担をしないで、他の人も利用できてしまうことをいう。そしてそのように利用する人のことをフリーライダー、つまり「ただのりをする人」という。
たとえば、議論の末A市にゴミの焼却場をつくったとしよう。すると、能力的にはA市だけでは余裕があるので近隣のB,C市も利用できることになった。ところがゴミが増えていって他の地域に焼却場を作らざるを得ないという場合が出てくると、B,C市の住民は、環境破壊になるからといって自分の地域に焼却場を作るのは絶対反対というのだ。ゴミを出すメリットは受けたいが、焼却場を作るというデメリットはゴメンという論理だ。ここではB,C市の住民ががフリーライダーということになる。
普天間基地の移転論争を見聞していると、我々日本人はこれと同じことをやっていることに気づくはずだ。すなわち、日本の安全を維持するために日米安保条約は必要だ。そのために基地を提供するのはやむをえない。しかし、基地が自分の所に来るのだけは絶対反対だ、という論理だ。こんな虫のいい議論をしている限り、沖縄の基地は無くならないだろう。

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