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セビリア市内観光(8) [スペイン紀行]

6月3日(火)、午前中はセビリアの市内観光をする。
まず、1929年に開催された世界博覧会の会場跡地を訪れるが、そこは今では公園になっていて、メイン広場がスペイン広場といわれる。そこをしばらく散策した後、スペイン最大のカテドラルと言われるセビリア大聖堂を見学。4騎士に担がれたコロンブスの墓の記念像が興味を引く。付属するヒラルダの塔(98m)の急なスロープの回廊を歩いて登る。頂上からは十字架状になっている大聖堂の屋根および暖系色の屋根が目立つセビリアの市街地の風景を一望できて壮観。
昼食後に、バスに乗り一路グラナダに向かう。平坦な道を走るが、グラナダに近づくにつれ、山頂に雪を頂くシエラ・ネバダ山脈(3,500m)の雄姿が見えてきて、その麓にあるグラナダに到着。
ホテルにてビュッフェスタイルの夕食をとる。

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アルハンブラ宮殿の観光(9) [スペイン紀行]

6月4日(水)午前中にアルハンブラ宮殿を見学。
ここは、見学者が多いためすべて予約制になっていて、我々の一行も8:30からの見学となり、早朝からあわただしい。
アルハンブラ宮殿は、1238年にナスル王朝として誕生し、1492年にキリスト教団により滅ぼされるまでの254年間続いたスペインにおけるイスラム文化のシンボルであった。
美しい鍾乳石装飾が目を引く天井、壁という壁にはイスラム文化特有のモザイク模様の彫刻が施されていて、高度に発達したイスラム建築の粋を垣間見ることが出来た。
また、廷内の庭園も特徴があり、ライオンの噴水や、背景の建物の影が逆さまに映るように設計されたプールなど随所に見せ場が造られている。ヘネラリフェ庭園も見ものだ。          

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ミハス、マラガに移動(10) [スペイン紀行]

2時間のアルハンブラ宮殿の見学の後、バスで一路ミハスに向かう。ミハスは地中海に面した避暑地で、白い街として知られている。到着後すぐに昼食をとるがイカのフリッターの盛り合わせは口に合わず。昼食後すぐに自由行動となるが、30度を超える暑さの中、馬車に乗って街を一回りする。どこの家も白壁で統一されていて、表には原色の花が飾られていて、白壁に映えてよく似合う。
海風が涼しく、木陰に入ってはるかかなたのアフリカを思いやりながら涼をとる。
16:30ミハスを出発してマラガ空港に向かう。マラガはピカソが幼少期を過ごしたことで有名な街で、なぜか街が小さい割りに大きな空港を造ったものだ。
国際線並みの厳しいチェックを受けた後、30分遅れの飛行機に乗り、空路バルセロナに向かう。
10時過ぎにホテルに入る。

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バルセロナ観光(11) [スペイン紀行]

6月5日(木)、バスで市内観光に出かける。スペイン広場を経由してまずモンジュイックの丘に登る。ここは1992年に開催されたバルセロナ・オリンピックのメイン会場となったところで、高台からはすぐ目前に広がる地中海が望め、またこれから行くサクラダ・ファミリアも眼下に見下ろせる格好の場所である。
そこから市内に戻り、大きなコロンブス像が立つロータリーを回って、ガウディが設計したとされるバトル邸、ミラ邸などを車窓から眺め、いよいよサクラダ・フアミリアに着く。大きなクレーン車が何台も動いていて、未完の状態だということがよく解る。完成予想は、ガウディ没後100年にあたる2026年だという。
10:00からの予約で、周囲から全体写真を撮った後、受胎告知の彫刻が施されている“生誕の門”から中に入る。中は外側の彫刻と違って意外とシンプルで、放射線構造のアーチが高くそびえ、それに天井の幻想的なデザインに思わず目を奪われる。
そして、中央から少し奥に入ったところにキリストの十字架像が吊るされていて、これまで各地で見てきた大聖堂とはかなり趣の異なるガウディならではの雰囲気が感じられる。
そして、キリストが十字架を背負っている彫刻が施されている“受難の門”を通って外に出る。

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ピカソ美術館(12) [スペイン紀行]

サクラダ・ファミリアを出てすぐにレストランに入って昼食(肉料理)を取る。その後は自由行動となった。
私は、そこからピカソ美術館に歩いていくことにした。タクシーでも行くのが難しいと聞いて、地図を頼りに細い路地を心細い思いをしながら美術館に着く。これほどの美術館にしてはきちんとした表示があってしかるべきではないかというのが感想だ。
会場にはピカソの初期(14歳のとき)から青の時代までの作品が展示されていて、写実的な作風から変貌を遂げていくプロセスをうかがい知ることが出来た。
その中で興味を引いたのが、プラド美術館に展示されていたベラスケスの「ラス・メニーナス」の作品を再解釈して描いたモノクロの作品で、ピカソらしい構成となっていた。ピカソにはこの他にも当時の巨匠たちの作品を模したものがあると聞いている。そして、これら一連の作品の延長線上に「ゲルニカ」があるのだと聞いて納得。
その後いったんホテルに帰り、ヨットハーバーのレストランで、最後の夕食会に臨む。地中海でとれたシーフードがふんだんに出て、それをかぶりつきながら旅行中の話がはずんだところでお開きとなる。


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帰国(13) [スペイン紀行]

昨日までの疲れが出て、朝の目覚めも遅くなり7:00過ぎになってしまった。
遅い朝食を済ませ、部屋で帰国のための荷造りをする。その後、近くにあるミロの「鳥と女」という大きなモニュメントがあるジョアン・ミロ公園に行き、しばらく時間を過ごす。公園に隣接してあった闘牛場はいまではショッピングモールになっていて、スペインでも不況の影響があちこちで見られる。
12:40にホテルで日本語を流暢に話す若いスペイン女性と待ち合わせてバルセロナ空港に向かう。タクシーの中で、彼女が大学(生物学)を卒業して4年になるが定職に就けず、日本語が話せることで日本人旅行者のお手伝いをしている。スペインでは若者の失業率は場所によって25%~40%にのぼり、一向に改善される様子は見られないとこぼしていたのが印象的だった。
彼女は我々が見えなくなるまでそこに留まり、最後に手を振って帰っていった。
パリでは4時間の待ち時間があったが、エール・フランスのラウンジでワインを飲みながら時間を過ごし、予定通りJAL機に搭乗することになった。
帰りのフライトは偏西風に乗るので往きより2時間少なく、羽田空港には予定通り6月7日(土)15:50に着く。そこはもう梅雨入りでむしむしする世界であった。

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なぜ海外旅行?(14) [スペイン紀行]

なぜ海外旅行をするのか、と問われれば「もちろん外国(その国)のことを観、知るためである」と答えるだろう。それは確かなことだが、それを通じて日本を知るという面を無視できない。いろいろなところを回って、つねに見えてくるのは日本との対比だ。“このようなとき日本ではどう?”という問いが自分の中に起こってくる。それに答えることで、日本人としての自分が見えてくるのだ。
ところで、今回スペインを旅行してみて、スペインの特殊性というものを垣間見た思いがする。
ジブラルタル海峡(アフリカとの距離は14キロしかない)を通じてイスラム教徒が入ってきたのは1300年前の711年で、それ以来スペインは「イスラム化されたキリスト教国」として、EUのなかでも特殊な世界性を維持してきたのだろうと思う。メスキータやアルハンブラ宮殿はその象徴である。
これを見て、私は神社と仏閣が共存する日本の姿を思い浮かべた。ただし、日本には外国人による統治はなく、自ら仏教を導入したという違いがあるが・・・。そして一神教はついに根付かなかった。




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