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セカンドライフ(8) [セカンドキャリア]

黒澤明監督の「生きる」
そのことを思い出させてくれるものに、黒澤明監督の映画「生きる」という名作があります。
少し長くなりますが、物語のあらすじを紹介したいと思います。

志村喬演ずる 物語の主人公は、市役所で働く市民課長。彼はもう30年間も毎日同じ時間に始まり同じ時間に終わる生活を繰り返してきた。今の仕事はといえば、部下からあげられてきた稟議書にひたすら判を押すだけ。
そんな彼が、あと一年で定年を迎えることになる。彼はここ数年、胃の調子が悪く医者通いが多くなる。ある日、医者の態度からガンであることを悟る。それもあと半年の命。自分ではどうにもならない現実を前にして、彼は焦り、今まで決して休むことのなかった役所を無断欠勤する。そして酒浸りの数日が続く。何をしてもつまらない毎日-。そこで彼は、自分の30年間を初めて振り返る。「いったい自分は何をしてきたのだろう?」と。そんなある日、「市役所での仕事がつまらない」といって退職した女性と出会う。彼は真顔で聞く。「君はどうしてそんなに生き生きしているのだ?市役所にいたときは嫌な顔をしていて、ちっとも朗らかじゃなかったじゃないか」
すると彼女は、手に持っていたウサギのおもちゃにゼンマイを巻いて、彼の目の前に置いてこう答える。「私、お人形を作る工場で働いているの。そして思うの。小さなお人形を作るたびに、これでまた日本のどこかにいる赤ちゃんと仲良くなったなあと。そう思うと、仕事が楽しくて。生きがいがあるのよ」
それを聞いた彼は、「生きがい、生きがい」とつぶやく。そして、残り少ない人生で一つだけ「人のためになる仕事をしよう」と決心する。
市役所にもどった彼は、死ぬまでに自分に出来ることは何か探し始める。そして、つい最近、自分が惰性でたらい回しにした市民からの”湿地帯に公園を!”という請願を思い出し、それを実現させようと動き出す。彼の行動は変化し周囲も巻き込まれていく。そして努力は実を結び、湿地帯に公園が完成した。そしてその年のクリスマスイブの夜、雪のふる寒い公園で、彼はブランコに揺られながら息をひきとる。


セカンドライフ(9) [セカンドキャリア]

「生きる」の顛末はあまりに寂しい。しかし、ほっとするところでもある。
何が寂しいのか。この主人公は社会とのつながりがあったときでも毎日同じことの繰り返しで生きていたに過ぎません。生きがいなど無縁の世界だった。しかし、定年間際になって、しかも自分ががんであり余命6ヶ月であることがわかった時から生きた証を求めるようになった。そして自分にできることは何かを考えだした。そしてある湿地帯に公園をつくることに奔走したのだ。自分の死を意識することでこの人は生きることを追求し始めた。それまでは生きているにすぎなかった。要するに死んでいなかっただけなのだ。しかし、本人もそのことに気づいて「こんなはずではなかった。もっと違った生き方があるはずだ」と考え出した。死と向き合って初めて生きることの意味を問うことになるのです。

セカンドライフ(10) [セカンドキャリア]

「生きる」の主人公は、死を予期したときから生きることを始めた。つまり、本人の心のなかでは命のカウントダウンが始まったときから生きることを考え出したのだ。それまでは、たんに生きている状態が続いていただけだ。いわば生きる屍だったということができよう。そこにはお世辞にも未来に向かって生きる姿は見えない。「生きていく」とは、時間が未来に向かって開かれていなければならない。言い換えれば、人は自分が何かに向かって前進していると感じられるときにのみ、生命の発展の感じとして「生きていく」と思えるのだろう。

セカンドライフ(11) [セカンドキャリア]

「生きる」の主人公にとって、生きることと死ぬことは表裏の関係にあるといえよう。
ふだん死を感じていないときは生きていない。死んでいないだけなのだ。そして死を意識したとたんに生を考え出す。そして、生きることを始める。
これが人間なのかも知れません。
私たちは死と隣り合わせに生きていることを頭では理解していても、自分の身にふりかかってくることとは考えない。つまり、平均寿命までは生きられるだろうとタカをくくっているのです。しかし、多くの場合、それは「生きている」のであって、「生きていく」ことにはならない。生きていくためには、死ということを頭ではなく心で感じなければならないのだ。
「生きる」の主人公も、短期間ではあるが「生きた」と感じることができたので、自然体で「死」を受け入れることができたのではないか。


セカンドライフ(12) [セカンドキャリア]

このように、私たちは長い老後をどのように生きるかが問われているのです。
それは、あてがいぶちではなく、自分自身で見つけなければなりません。誰にも頼ることはできません。それをすることによって、私たちは主体性をもって人生を生きることができる、ということができるのです。
最悪の場合は、変化のない1日の生活を30年も繰り返すことになりかねません。
そうならないようにするためにも、どうか今日から「自分のやりたいことを見つける旅」に出ましょう。
私たちに必要なことは、人生とはこんなものだという分別を捨てて、新しいことを始めるという好奇心なのでしょう。その感覚さえあれば、自分のやりたいことはきっと見つかると思います。

65歳まで働く [セカンドキャリア]

厚生労働省は14日の労働政策審議会の部会で、企業に従業員の65歳までの再雇用を義務付けている制度の運用を厳格化する方針を示した。
今でも65歳は義務付けられているのだが、例外規定があって、それを撤廃することで希望者全員の再雇用を実現しようとする措置だ。
65歳定年制が現実味を帯びてきたという意味では結構なことだ。
背景には、厚生年金の支給開始年齢の引き上げで、65歳まで年金を受け取れない退職者がでることに対応しようというものだ。
現在、政府は社会保障と税の一体改革の試案をまとめようとしているが、雇用延長もその一環として考えられることで、避けて通れない道である。

65歳雇用延長問題(1) [セカンドキャリア]

政府は高齢者雇用安定法(高齢法)の厳格な運用を行う方針で、2013年度から65歳までの雇用を義務付ける見通しです。その背景には、公的年金の支給開始年齢が65歳に引き上げられることによるもので、60歳で会社を辞めても5年間は無収入状態になるのでそれを避けるのが目的です。
これを受けて企業側も、次の3つの方法で65歳までの雇用を延長することになります。
①65歳まで定年延長
②定年制の廃止
③定年後65歳までの継続雇用制度の導入
しかし、企業側はこの措置を必ずしも歓迎しているわけではなく、導入するとしても待遇面では厳しくなることが予想されます。
しばらく、この問題を取り上げてみようと思う。
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