東日本大震災と原発問題 ブログトップ
前の7件 | 次の7件

それでも進められた原子力発電 [東日本大震災と原発問題]

それでも日本では原子力発電所の建設が進められた。その背景には、石油、石炭、天然ガスなど化石燃料の価格高騰、地球温暖化問題への危機感の高まりなどがある。つまり、原子力は二酸化炭素(CO2)を排出しない「最強のゼロエミッション電源」(橘川)と見なされたのだ。そして、現在では全国に54基建設されており、アメリカ(104基)、フランス(59基)に次いで第三位の保有国になっている。そして、地球温暖化問題への対応が追い風となって、さらに建設が促進されようとしていたのだ。
そこに今回の東日本大震災が起こった。そして「想定外」の地震と津波が押し寄せてきた、という言い訳をして関係者たちは責任問題から逃れようとしている。つまり事故は予測不能で不可抗力だったということになれば、責任を問われることはない。

原発の危険性とコスト [東日本大震災と原発問題]

今回の福島第1原発の事故は、その被害の大きさだけでなく、危険性という点で世界に衝撃を与えた。
津波で原子炉の冷却機能が破損し、冷水が止まって原子炉の水位が低下し、メルトダウンが起きてしまった。そして水素爆発が起こって建屋が吹き飛び、大量の放射性物質を建屋の外に撒き散らし、半径30キロ圏の住民は圏外に移住することになった。
原発を冷温停止させ、さらにその後の廃炉までもっていくのにどれぐらいの時間と経費がかかるかは予測がつかない。それらの事故対策や廃炉などの隠れた費用を含めると、原子力発電はコストが安いという神話は吹っ飛んでしまう。しかも住民の避難、放射能汚染による農産物や漁業の被害などの補償を含めると、どれぐらいの金額になるかは全く予測がつかない(続く)。

原発の再稼動 [東日本大震災と原発問題]

「原子力発電が危険である」ことを否定する人はもういないであろう。そして「脱原発」を声高に訴える人が増えてきた。それに対して、依然として原発擁護派もいる。それらの人々は、今回問題となった防潮提建設、補助電源の確保はじめ、原子炉格納容器や建屋の強化などいろいろな対策を講じれば問題は防げるという考え方が主流を占めているようだ。
しかし、それらを実施するには膨大な追加コストがかかるし、すぐには実現できない。
そこで政府は、原発の短期的な安全対策を指示し、それが確認できたとして、定期検査のため停止中の原発(35基のうち18基)の再稼動ができるよう自治体に要請している。
そうしなければ、電力の供給制約が日本の産業、経済に大きなダメージを及ぼすというのだ。それに対して、地元自治体側は「政府のやり方では安全が確認できない」として簡単には再開に応じようとしない。危険の認識とそれに対する取り組みが厳しく問われているのだ(続く)。

発電コスト [東日本大震災と原発問題]

それでは、発電コストのほうはどうであろう。
経済産業省が発表している「エネルギー白書(2008年版)」によれば、発電方式別の発電原価試算結果(1kWh当たりの発電費用)は次のようになっている。
・水力:8.2~13.3円 (設備利用率 45%)
・石油:10.0~17.3円 ( 〃  30~80%)
・LNG:5.8~7.1円 ( 〃  60~80%)
・石炭:5.0~6.5円  ( 〃  70~80%)
・原子力:5.8~6.2円 ( 〃  70~85%)
・太陽光:46円    ( 〃    12%)
・風力:10~14円   ( 〃    20%)
これによると、太陽光が突出して高く、風力、石油、水力と続き、石炭とLNGおよび原子力が安いという結果が出ている(続く)。


発電コストから見た原発 [東日本大震災と原発問題]

原子力発電は、他の方式に比べると安いように見えるが、どうやらこれにはカラクリがあるようだ。それを指摘する人は、減価償却のための期間が異常に長いこと、また、約50年間稼動した後の解体、廃炉のための費用などが含まれていないという。今回の東電の事故はそれを気づかせてくれた。
それが真実とすれば、原子力の発電コストは、今回のような事故が無くても3倍から5倍になり、決して安いとは言えないのではないか・・・そう考えても決して不都合なことではない。
ただし、原子力発電はCO2を排出しないので、地球温暖化対策としては最適だ、という意見がある。そのため、政府は平成22年のエネルギー基本計画で原子力発電を軸にしたエネルギー政策を打ち出したのだ。
それを考慮したうえでも、今回の事故は、危険性とコストの両面から見て、次代のエネルギーの主力に据えるには無理がある、ということを気づかせてくれたように思う(続く)。

なお、25日(土)からいよいよ「リーダー養成講座」が始まる。

核兵器と原発 [東日本大震災と原発問題]

 核兵器と原発はまったく違う。しかし、核エネルギーを利用するという意味ではコインの表裏の関係にある。そして、“平和利用”というきれいな包装紙で包んだパンドラの箱を「安全・安価」というレッテルを貼って国民の目に見せたのは、他ならぬ政府(自民党)と電力業界であった。そして、決して開けてはいけないと言い含めていた。
ところが、今回の東日本大震災でこのパンドラの箱のフタが開いてしまったのだ。そして、私たちは、箱の中に詰まっている悪魔を見てしまった。それは安全で持続可能なエネルギーではなく、核兵器による惨状と同じ光景だったのだ。
日本が広島と長崎で体験したことと基本的には同じことだった。それを忘れてしまって、平和利用という名目で利便性、効率性を追求してきたのだ。それを追い求めて機能している段階ではよかった。ところが、いったん破綻するとコインの裏側が顔をだすのだ。
そのようなものに我々の将来を託すことはできない。できるだけ早く脱原発の方向に向かうべきだろう。
それができるなら、直ちにそうすべきだろう。しかし、すでに30%以上のエネルギーを原発に依存しているという現実がある。それをどう考えればよいのだろう。(続く)

脱原発は正しい選択か [東日本大震災と原発問題]

 日本にはすでに54基の原発が稼動しており、30%以上のエネルギーを原発に依存している。危険だからといって、一挙にそれらを停止させてことは可能だろうか。また停止させた場合、それに代わるエネルギーは確保できるのだろうか?
すでに、真夏の猛暑のシーズンを迎えるにあたって、電力の15%節電が呼びかけられている。製造業では、電力需要が減る土・日に労働シフトをしようとしている。家庭では、蛍光灯からLED電球への買い替えや扇風機の需要が起こっていて、節電の意識は高まっている。ところが、猛暑時でのクーラーの使用を減らすことは容易ではない。
一度快適な生活を体験した人が、それを手放すことはできないのだ。つまり、考えられる限りの耐乏生活をしてなお電力不足が起こったとき、どうするのか、ということだ。
今は、「原発は危険だからはやく脱原発の意思決定をすべきだ」という感情論が主流をしめているが、なんとなく、「原発を止めても自分の身にはあまり影響は無い」という安易な考え方が多いような気がする。
現段階で、原発に代わる代替エネルギーを見つけることは容易ではない。それならば、現実的な対応をせざるをえないだろう。それは、100%安全ということはありえないにしても、現行の「安全基準」の大幅な見直しとそれへの対応により、現段階で考えられる最大限の[安全]な状態にしたうえで原発を再稼動させるのが、現実的な対応ではないだろうか。また、それが事故を起こした日本が世界に向かって発信すべきことであろう。
そのうえで、長期的には脱原発の方向へ舵を切るというのが現実的な道なのかと思うがいかがなものだろう。

前の7件 | 次の7件 東日本大震災と原発問題 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。