硝子戸の中(1) [日記]

先日来、首から頭にかけて帯状疱疹にかかり、顔の右半分と耳がはれてきて、神経がピリピリ傷んで1日中家にごろごろしていた。多くは腹や背中に出るのだが、首から上に出るのは全体の15%ぐらいだという。そして、1日3回食後に飲む薬と痛み止めの薬がこんなに待ち遠しいこともなかった。
外出もできず、本や書類に目を通す気力もなく、硝子戸越しに見える庭を見て世界とつながっている感じだ。夏目漱石に「硝子戸の中」という随筆があるが、それに因んでいくつかのことに気づいたことを書いてみた。
まず、鉢植えしているバラの花が大きく咲いて、しかも長く保っているのだ。バラは年3回咲くようだが、こんなに長く咲いているのはこの季節だけなのだろう。晩秋に咲くバラを窓越しに見ていると、どこか凛として近寄りがたい雰囲気をもっている。

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立冬の日に思う [気候]

立冬は、二十四節気の19番目に当たり、今年は11月7日から21日までの15日間をいう。この日を境に冬が始まるとされているが、まだまだ暖かい日が続いている。
地球は間違いなく温暖化の方向に進んでいて、エジプトで開かれているCOP27では、国連のグテーレス事務総長が「我々は気候の地獄への高速道路についてアクセルに足をかけている」と厳しく指摘している。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻により、世界的なエネルギー対策を後戻りさせている現状に対して、有効な手立ては見つからないのではないか。この戦争を終わらせることが最優先されるべきだろう。

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6.習熟度別クラス編成は学力向上につながるのか(3) [自尊心]

前回見てきたように、能力別のクラス分けしたら、目的である全体の底上げをすることが難しくなってくる。何も珍しいことではない。生徒たちは、与えられた自己イメージ通りの成果を出すことになっただけだ。それを避けるためには、「個人の能力は変わりうる(成長できる)」という「成長型マインドセット」の考え方を取り入れて、期間を決めてクラス編成を変える必要があろう。教え方は変えても教える内容に差をつけてはならない。そうしないと、クラス編成は固定されたままになってしまう。それが難しいのなら、初めから混合型のクラスにしてしまうかだ。
ただし、実際の効果を検証するためには、習熟度別授業を行ったクラスと行わないクラスを比較するなど厳密なデータの収集が必要だろう。結論はそれが出てからにしても遅くない。
ただし、海外ではすでに多くの実証研究が報告されていて、「能力別クラス編成は全体の底上げにはつながらない」という結論が多く出ているようだ。形だけ海外の制度を真似ても仕方がないだろう。
もし、習熟度別クラス編成をした結果、全体のレベルアップにつながったという事例があれば教えていただきたい。
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5.習熟度別クラス編成は学力向上につながるのか?(2) [自尊心]

習熟度別にクラス分けするということは、生徒たちに低・中・高レベルのレッテルを張ることになることは前回指摘した。すると、生徒たちに次のようなことがみられるはずだ(実際にそうなっているかどうかを検証する必要があるが・・・)
① 低のクラスに入ると、生徒たちは自分の能力は低いという自己イメージをもってしまって、それに見合った成績を取るようになる。彼らの口癖は「どうせ自分は・・・」だ。
② 中のクラスに分類された生徒たちは、自分は中の成績が似合っていて、良いときは「まぐれだ」と思って、さらに上を目指そうとは思わない。そして悪いときは「次はもう少し良くなるはずだ」と思うようになる。そして最終的には「中」程度に納まってしまうのだ。
③ 高のクラスに配属された生徒は、自分はもともと頭が良いのだから、良い成績を取らなければならないとして努力して結果を出す生徒がいる一方で、それがプレッシャーになる生徒が出てくる可能性がある。そして問題を解かなければならないときは、良い点を取って「頭が良い」ことを証明する必要があると考えて難しい問題を避けて易しい問題を解こうとする。また、悪い成績を取ったとき、「自分は、本当は能力は高くない」と意識して悩むことになる。
それだけではない。生徒たちに加えて教師までもグループ分けした生徒たちを低・中・高という色眼鏡で見て、それに見合った教育をしようとするのだ。これでは、よい意味でのピグマリオン効果は発揮されないで、全体の底上げは望むべくもないと言わざるをえないだろう。
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