自尊心が高い人と「競争」(8) [自尊心]

まず、自尊心の高い人は「競争」をどうとらえるか? 
自尊心の高い人は、競争には勝ち負けがあり、勝者と敗者をつくることは承知していますが、勝敗にこだわらず、能力を発揮(成長)できるかどうかでとらえようとします。
すなわち、競争は自分の能力(可能性)を引き出す(成長する)チャンスだと捉えます。当然のことながら、個人の力に差があることは分っています。競えば負けることがわかっているときでも、自分よりも力のある人と競争することで自分の能力を発揮(成長)できるチャンスだと考えます。そのため、他者と競争するとき、負けても自分のベストのプレイができたら、成長できて自分に克つ(克己)ことになると考えるのです。(運動選手なら自己記録を更新する)。つまり、相手がつくりだしてくれる障害を受け入れ、それにチャレンジして自分の能力を高めようとするのです。そして、切磋琢磨してお互いにベストの力を出したときにWin-Winの最高の競争ができたと考えます。競争相手は敵ではなく味方になるのです。
このように考えれば、最高の競争には「敗者」はいません。全員が勝者ということができます。
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自尊心が低い人と「競争」(9⁻①) [自尊心]

自尊心が低い人の競争の捉え方はまったく異なります。
自尊心の低い人は、勝敗にこだわります。「勝つことは自分(の地位)を高め、負けることは敗北(ダメ)人間になる」と考えます。そのため常に他者を意識していて、他者よりも優位に立ちたい(勝ちたい)と思っています。
自尊心の低い人にとっては、競争は「(相手に)勝つこと」が目的になり、勝つためなら相手の失敗を喜びかねません。プロセスはどうであれ勝てばよいのです。そして、勝つと有頂天になり、負けると「自分は本気でなかった」とか、「今日は体調が悪くて」とかの言い訳を考えるのです。(自尊心の高い人は「勝とうと努力」しますが、負けたからといって悔しがることはしません。悔しがるのは、自分の力を発揮できなかった⦅自分に負けた⦆ときだけです)。
そして、自尊心の低い人は、他者と競争して負けそうなときには、勝たなくても、「負けたくない」という心理が働くのです。つまり「勝たなくても負けない(=引き分け)」という論理です。
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自尊心が低い人と「競争」(9-②) [自尊心]

自尊心の低い人は、勝ちたいという思いが強いだけに、勝てると思った時には競争しようとしますが、負けそうだと思うと競争を回避しようとします。できることなら自分が劣っていることを認めたくない。そして、劣等感を感じなくても済む道を探そうとします。それは、優劣の差のつかない「他の人と同じ行動」をとることで自分の身を守ろうとするのです。他の人と同じことをすればよい。皆と同じことをしている限り、自分が劣っていることを認めなくて済みます。
そのため、集団の中では決して最初に発言しないし、最初に行動することはない。目立たないようにして他の人の後をくっついていけばよいと考えるのです。
他者に悪く思われたくないので、必要以上に相手(特に強い人)に合わせてしまいます。過剰適応はそのようにして起こってくるのです。
これは、勝たなくても負けない戦術(身のこなし方)と言えましょう。
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劣等感について(10-①) [自尊心]

  劣等感について(10-①)
ここで改めて劣等感について考えてみたい。
「人間であるということは、自分が劣等であると感じることである」(『生きる意味を求めて』)と喝破したのは「劣等感」の生みの親と言われるアルフレッド・アドラーだ。すべての人が劣等感をもって生きているということだ。
すなわち、劣等感は自尊心の低い人だけがもつ専売特許ではなく、自尊心の高い人ももつ普遍的な感情だということである。人はみな、比べる対象が違っていても、「誰かと比べて劣っている」ことを認めて引け目や恥を感じているのだ。
比べることが人間の本性だとしたら、劣等感もそれにともなう必然的なことだといえよう。
その場合、アドラーも認めているように、劣等感をもつこと自体は決して悪いことではなく、重要なことはそれをどう扱うかということだ。
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劣等感について(10-②) [自尊心]

劣等感は比較しなければ起こらない。比較することによってはじめて「自分が他者より劣っている(優れている)」ことを感じる。この傾向は小さい時からの生育の過程で身につけてきた習性だといってよい。親が、他の子どもの良い点と比較して劣っているところを「お前は・・・」と指摘し、言い聞かせてきたことが影響している。親は、善意で自分の子どもに〝あんなになってほしい“と期待してメッセージを伝えているのだ。ところが、子どものほうはその都度「(親の期待に応えられない)自分はダメな人間だ」と思ってしまう。たとえ比較される相手より自分には優れている点があっても関係ない。そして、大きくなっても常に、他人と、しかも自分よりも優れている点と比較する習慣が身についてしまったのだ。
*アドラーは、他者との比較だけでなく、「こうありたいと思う目標」と「目標通りにできない現実の自分」とのギャップに対してもつマイナス感情も劣等感に含めています。
なお、9月6~8日は、ある企業でAMM研修がありますので、この欄は休みます。
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劣等感について(10-③) [自尊心]

劣等感は一般的には、人が社会生活を送るに当たってマイナスであると思われているが、マイナスなのは劣等感そのものではなく、劣等感に対する考え方(マインドセット)であることがわかる。劣等感は誰でも感じるものであるが、その受け止め方に違いがあり、それによって対応の仕方(補償行動)も変わってくるのだ。それは、自尊心が高いか、低いかによって表れる違いである。
・自尊心の高い人は自己肯定感が強く、自分が他者と比べて劣っていることに劣等感をもっても、それを受け入れて克服しようとする。これが正の補償行動である。
・自尊心の低い人は自己肯定感が低く、自分が劣っていることに劣等感をもつが、それを受け入れようとしないで隠したり、ごまかしたりして体面を保とうとする。これが負の補償行動である。
これらの点について、少しばかり説明が必要だ。
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自尊心の高い人と劣等感(11) [自尊心]

自尊心の高い人も劣等感をもちます。
ただし自尊心の高い人は、その劣等感を受け入れて、それを克服しようと努力します。
歴史的にも、3重苦を克服したヘレン・ケラー、また、小さい時に吃音だった人が、大きくなって雄弁な政治家になったという話が伝えられています。イギリスのチャーチル元首相やアメリカのバイデン大統領も小さいときに吃音だったということで有名です。
もっと身近な例としては、パラリンピックに出場した選手の皆さんがあります。彼らは心身のハンディキャップに劣等感を感じたはずです。それでも周囲の皆さんの理解と支援を受けて「失ったものを数えないで、残った機能を最大限に活かそう」と懸命な努力をしてそれを克服しています。
このようなプラスの対応の仕方を、(アドラー)心理学では「正の補償行動」と言います。
それができるのは、本人に「こうなりたい」という前向きな目標があり、それを実現したいがために補償行動がでてくるのです。劣等感を感じただけではそれは出てきません。その劣等性を克服して成長したいという思いがあるからこそ起こるのが正の補償行動で、それは成長思考の自尊心の高い人に起こることです。自尊心の高い人は、劣等感をバネにして成長することができるのです。
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