ミヒャエル・エンデの時間についての考え方 [時間]
ミヒャエル・エンデの時間についての考え方を、「もも」の文中からそのまま引用しよう。解説はもう不要だろう。
●「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのと同じに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないも同じで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないも同じようにね。でも悲しいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、何も感じとれない心をもった人がいるのだ。」
●「時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。」
●「時間はある―それはいずれにしろ確かだ。でも、さわることはできない。つかまえられもしない。・・・人間は自分の時間をどうするかは、自分で決めなければならないよ。」
●「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのと同じに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないも同じで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないも同じようにね。でも悲しいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、何も感じとれない心をもった人がいるのだ。」
●「時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。」
●「時間はある―それはいずれにしろ確かだ。でも、さわることはできない。つかまえられもしない。・・・人間は自分の時間をどうするかは、自分で決めなければならないよ。」
2014-05-08 07:00
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