いのちとは「自分が使える時間」 [時間]

ミヒャエル・エンデ流に定義すると、「いのちは自分が使える時間」と言うことができよう。
その時間は見えない。「大切なものは目に見えない」というサン・テグジュペリを持ち出すまでもなく、いのちも時間も見えない。心で見るものだ。そして、一人ひとりの時間は有限であり、それをどう使うかは自分で決めなければならない。ということは、どう生きるかも自分で決めなければならないということだ。
しかし、会社等に勤めていると、時間の使い方はすべて会社に決められていて、個人はそれにどう従うかだけだ。すべてが会社(他人)任せであり、自分で自由に使える時間は殆ど無いに等しい。

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