政治家の“言葉”の重さ [日記]

6月3日。「辞めてほしいと申し上げたら解かりましたと言われた」(鳩山)、「震災対応など一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継いで欲しい」(菅)という国政を担う人が発する言葉を聞いて、マスコミは一斉に退任報道をした。ところが、内閣不信任案が否決されると、「いつ辞めるとは言わなかった」(菅)と言い張る。
このやり取りを聞いて、誰も総理の言葉を信じる人はいないだろう。鳩山氏はそれを聞いて菅氏のことを「ペテン師」だと言う。二人のやり取りを聞いていると、まるで「狐と狸の化かし合い」に映る。
国民はいったい誰の言葉を信じればよいのだろう。日本は古歌にも「言霊の幸う国」と語り継がれたように、言葉に特別な力を認めてきたが、今の政治家にそれを望むべくもない。
政治家は「曖昧な言葉」を話して、言葉尻をとられないようにする。つまり責任を取ろうとしないのだ。これでは政治家に我々の未来を託すわけにはいかない。言葉を大切にして、自分が発した言葉に責任を取れる政治家の出現を望みたい。それが信頼を取り戻す道なのだ。

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