囚人のジレンマ(11) [ゲームの理論]

私たちは、人生の早い段階から勝つことのイメ-ジを、相手に勝つという「勝ち-負け」から、相手と共生するという「勝ち-勝ち」に変え、生き方を変える必要があるのではないか。そして、もし競争するのであれば、それは自分と競争すればよいのです。つまり「自分に克つ=克己」がわれわれの目指す生き方にならなければならないのです。
多くの場合、私たちがこのような「勝ち-勝ち」の生き方の必要性に気づくのは、残念ながら社会から引退してからですが、それでは遅いのです。人とのつながりを避けるという消極的な生き方をした人は、社会とのつながりが無くなったときから、生きがいを喪失します。それまでは、自分がすることを組織という他人が与えてくれました。引退するとそれがなくなってしまいます。そのとき、自ら新しいやりたいことを見つけられる人はよいのですが、多くの場合それは望み薄です。何をしていいかわからないのです。受身の人生を送ってきた人にこれからは自ら選んだ主体的な生き方をしてくださいといっても所詮きれいごとになってしまいます。
生きがいというのは、自分が社会のどこかとつながっていて、他人のために役立っていると実感できてはじめて感じられるものだからです。それは自分の枠から出て他人の領域に入っていくことです。そこでは「やまあらしのジレンマ」は通用しないのです。
そして生きがいをもてる人は、社会とのつながりの中で「生きていく」ことができます。ところが、社会とのつながりがなくなり、絆が絶たれたとき、人は生きがいを失うだけでなく、「生きている」ことはできても、将来に向かって「生きていくこと」はできないのです。つまり、死んでいないだけの話になります。


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