吉田兼好の境地 [時間]

過去にも、このようなことをやった多くの先人たちがいる。その最たる人はおそらく吉田兼好だろう。徒然草の序段には教科書にも出てくる次のような有名なくだり(件)がある。
「つれづれなるままに 日暮らし硯に向ひて 心に移り行くよしなしごとを そこはかとなく書き付くれば 怪しうこそ物狂ほしけれ」 
おそらく前述したようなテーマのことを考えていると、「怪しうこそ物狂ほしけれ」という境地になるのではないか。やることもなく、孤独を楽しめる人だけが味わえる境地なのであろう。


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自由からの逃走 [時間]

自由にできる時間はたっぷりある。今まで忙しいことを理由にして避けてきたテーマに取り組む時間はいくらでもある。退職して3ヶ月ぐらいは、これからそれをやっていこうと意気込むのだが、いざその立場に立つとなるべく考えようとしない。逆に何をしてもよい自由時間をもてあまし気味になってくるのだ。有り余る時間をどうするか誰かに決めてもらいたい。そして、会社のことが懐かしくなってくる。会社に行けば、やることがあり、確実に時間を過ごすことができた。
自由などいらないから、自分がすべきことを誰かに決めて欲しい。その心理が、フロムの言うところの「自由からの逃走」である。

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自由からの逃走(2) [時間]

誰にも、何物にも拘束されないで自分の自由意思で自分の行動を決定できるということは、長い人生の中で初めて経験することであろう。それは成長した個人にとって自分を証明できる条件が整ったことになるのだ。しかし、全くの自由を得ると、人はかえって孤独と不安を感じる。誰にもつながっていない、何物にもつながっていない、天涯孤独の不安を感じるのだ。
一人でいることとは違った意味での“孤独”の寂寥感を感じるのだ。
そんなとき、行き着くのが「自分は何者か?」、「自分は何のために生まれてきたのであろう?」という疑問だ。つまり、それまで忙しいことを理由で避けてきた問題が頭をよぎってくるのだ。

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2つの自由 [時間]

今まで書いてきたことに整合性をもたせるためには、自由には2つあることに気づくべきなのだろう。その一つは「~からの自由」、つまり、何かに拘束または制限されていてそこから逃れたいという自由。もう一つは「~への自由」、つまり、束縛から逃れた後に、あるいは束縛されていても「自分はこれをやりたい」という行動を起こすための自由。後者の自由を活かすために,人は前者の自由を欲しがるものだ。束縛されていては自分のやりたいことを実践に移すことは難しいからだ。それに対して、後者の自由を欲しがらない人は、何らかの形で束縛されることを望む。自主的に何かをやりたいことがあるわけではない。むしろ決められたことがあって、それに従うことで安心して1日を終えたいという生き方が身についているのだ。


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所属価値と存在価値 [時間]

何かに拘束されていたいという心理は、自己紹介のときに顕著に表れる。「私はxx会社のZZです」と所属する組織の名前を言った後に自分の名前を名乗る。自分よりも会社とか役職で人間を判断しようとする傾向が見られるのである。
それに対して、何かをしたいから自由を望む人は、「xxをしているzzです」という言い方をするだろう。つまり「自分とは何者か?」というアイデンティティを問題にするのだ。そんな人には組織は手段であって、むしろ何をしているかのほうが大事なのだ。つまり、「自分が何をしている」かが重要なのであって、組織はその邪魔をしない、または奨励してくれる場合に限り意味をもってくる。


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所属価値の人が会社を辞めたら(1) [時間]

 所属価値を重んじる人が会社を辞めたらどうなるか?
そのような人は、会社を辞めると魂が抜けたように腑抜けてしまう。つまり,自分-会社<0という不等式が成り立つ生き方をしていたのだ。自分の人生から会社を差し引くと何も残らなくなってしまう。会社に自分の人生を預けていた構図が浮かび上がってくる。
そして、このような人は過去に生きようとする。すなわち、会社で一番輝いていたとき(ユングはこれを「人生の正午」という言い方をした)のことを思い出しては、自慢話をしたがるものだ。
このような人が名刺をつくるとしたら、元xx社zz部長などという肩書きを入れようとする。現在の自分ではない過去の自分を見せようとするのだ。

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存在価値の人が会社を辞めたら(2) [時間]

 存在価値を重んじる人が会社を辞めたらどうなるか?
そのような人は、「これでやっと解放された。自分の好きなことができる」と思って退職日の次の日から活動を始める。
このような人は、自分-会社>0という不等式で生きている。つまり、会社での生活は自分の生活の一部であり、それが無くなったからといって全てを失ったと言う風には捉えない。会社に取られていた時間を、自分のやりたいことに振り向けていけることを素直に喜ぼうとする。
したがって、このタイプの人は、「~からの自由」と「~への自由」が重なり合って進行していくことになる。

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