上り坂(9) [男の居場所]

誰も期待してくれないとしたら、自分で期待するしかないのだ。
しかし、自分の何に期待すればよいのか。自分の人生に期待するとして何があるのだろう。
それにつけ思い出すのは、上り坂、下り坂という表現だ。
平均的に考えると、誰にも上り坂と言えるときがあっただろう。45歳ぐらいまでは疲れ知らずに仕事に打ち込んできた。遊びもやった。時間をもて遊ぶということは決してなかった。いくら時間があっても足りなかった。上り坂を登っているともっと先に頂上があると錯覚するが、案外胸突き八丁のところに頂上があるのかも知れない。そのとき一番エネルギーを使ったはずだ。

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