池上金男「鉄血の島」について [日記]

明日5月15日は、沖縄が日本に復帰して50年になる記念すべき日だが、基地問題に象徴されるように、必ずしも手放しで喜んでいい状態になっていない。
私は、ちょうど10年前に池宮氏の書かれた「鉄血の島」を読む機会があり、その時に書いた書評があるのに気づいて、読み返してみて、皆さんにも一緒に沖縄問題を考えてもらいたいと思ってここに何回かに分けてそのまま掲載したいと思います。
「鉄血の島」池上金男
池上金男の名前は知らないが、池宮彰一郎なら知っている、という人が多いのではないか。実は私もその一人です。
今回、池宮氏が本名(池上金男)で書いた“沖縄に燃えるいのち・・・”「鉄血の島」(東洋堂、現在の万葉舎)を読むことになった。作者は1940年(昭和15年)に満州にわたり、現地徴集により陸軍に入隊。その後、南方戦線を経て46年に復員したという経験をしている。
そして戦後、平和ボケした日本人の姿をみて、「あの戦争にはどのような意味があったのだろう?」という疑問を抱き続けた作者が、一人の人物(松本明重)を登場させることによってその思いを吐露しているように思われる。
それは、あえて発行日を終戦記念日(昭和60年8月15日)にしたのもその意図があってのことだったろうと思われる。その意味では、この書は作者の止むに止まれぬ日本人に対する警鐘の書である。
最近になって、尖閣諸島の国有化をめぐって日中、日台の間で摩擦が生じている。問題の根底にあるのは歴史に対する認識である。日本政府は「尖閣諸島は日本の固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場を取っているが、中国政府は「本来中国の領土であり、日本が奪い取ったものである」と反論している。この問題を歴史的に検証する必要性が生じている時期だけに、日本人として是非読んでおきたい本だと思いたい。特に政治家にはとって必読書だと言いたい。
池上は、これを単なる歴史小説に終わらせないで、戦争告発書に近い形式をとっている。そのため、日中戦争から沖縄戦にいたるまでのプロセスを膨大な資料にもとづいて記そうとしたところは、作者の戦争観が見えてくるところである。
この物語を書くために、池上は資料の蒐集や翻訳、整理、そして現地調査に1年半近く費やして構想を練っていて、できるだけ史実に忠実であろうと心がけている。そのために作者の頭の中には、時間の経過(時間軸)とストーリィ(横軸)を組み合わせてさまざまな筋書きの可能性があったに違いない。そしてたどり着いたのが沖縄戦―基地化―返還というストーリィだったのであろう。
現在の日本の繁栄は沖縄の犠牲の上に成り立っている。沖縄が本土並みに返還されて繁栄してこそ犠牲が報われるときである、ということを訴えたかったのではないか。
そのために、池上は沖縄戦の行方を見通していた松本という人間を登場させ、次のように言わせている。そして、「もしも」があれば沖縄戦は違った局面を迎えただろうと書きたかったに違いない。
まさに、沖縄戦こそ回天の好機であり、大東亜戦争の最後の天王山であった。大本営の老練な将師も優秀な参謀も、その好機を見誤って見損じた。本土を死守するためにのみ眼を奪われ、沖縄はその本土決戦の準備のための時間稼ぎに利用しようとした。
「本土決戦」と「沖縄持久戦」の二本立は、諺通り「二兎を追うものは一兎も得ず」となったのである。
本書が出版されたのは1985年(昭和60年)。それから時間が経過しているがこのまま眠らせるには惜しい578頁にもなる大作である。小説というからには創作が混じっているだろうが、どこまでが史実でどこから創作かを見分ける力は私にはない。そして、これを読みこなすには相当の努力と忍耐力が必要だと付け加えておきたい。
以下に、物語のあらすじを添えておきたい。(続く)

コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。