自尊心と切磋琢磨(6) [日記]

自尊心が高いか低いかを見分けるのによい機会があります。それはスポーツ選手が世界に出て競う大会に参加する前の会見を見ればわかります。
自尊心の高い選手は、まず「ワールドクラスの選手たちと競って、自己記録を破りたい。そうすれば、互角に戦えると思います」と答える。つまり、目指すのは自分の記録を伸ばすことです。その結果としてメダルが取れればそれで良しとします。
それに対して、自尊心の低い選手は「金メダルを取りたい」という発言をするものです。目指すのは勝つことです。しかし、ワールドクラスの選手と競って、こういう選手は大抵自分の記録さえも上回ることもできず、平凡な記録で終わるのが普通です。

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自尊心と切磋琢磨(5) [日記]

 自尊心と切磋琢磨(5)
自尊心の高い人は、競争には勝ち負けがあることをよく知っています。しかし、負けたからといって、自分がだめな人間だとは決して思いません。負けた経験の中から何かを学び、それを成長の糧にすることができるのです。
こういった考え方ができれば、競争には肯定的で積極的な意味が付与されます。したがって、「自尊心のほんとうの敵は自分の心の中にある」ということができます。
勝つことに意識が向けられた場合、人は自分自身ではコントロールできないものを、なんとかコントロールしようとしていることになります。ゲームの勝敗は、ベストをつくした後の結果にすぎません。それはコントロールできないことです。つまり、「人事を尽くして天命を待つ」ことであり、それは「克己」の考え方に通じるものです。


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自尊心と切磋琢磨(4) [日記]

自尊心の高い人は、競争するにあたり、他人を打ち負かして優越感を味わいたいわけではない。自分にとっての“障害”に勝とうとします。それが本当の競争といえます。したがって、障害を与えてくれた競争相手は、敵ではなく味方なのだという一見矛盾した結論に達することにもなります。相手は、自分にとって常により難しい課題(障害)を与えてくれる“味方”なのです。自分はその障害を乗り越えてもっと能力を発揮しようと努力します。そこに自分の成長を見出そうとするのです。

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彼岸の中日 [季節]

9月23日は秋分の日。彼岸の中日である。物の本によると、彼岸とは春分、秋分を中日とし、前後3日を合わせた7日間である。この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ。
仏教では、この日に仏様の供養をすることで彼岸(極楽浄土)へ行くことができる、としてこの日を設けたのだという。
今年は、先週が3連休だったので早目に、大宮にある妻の実家のお墓参りをしてきた。道のところどころに彼岸花が咲いていて、この季節の彩を添えていたのが印象的だった。

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自尊心と切磋琢磨(3) [日記]

他人と競争・比較することで、人は優越感、劣等感という非生産的な気持ちをもつことになる。それなら競争や比較をやめしまえばよいではないかという論理も成り立つ。戦後の日本の教育界で起こったことで、未だに尾を引いているといってよい。
それでは、競争は悪いことか?人と競争することで、人間関係を損ない、自尊心を傷つけることになるのか?
日本では、競争相手のことを好敵手という言い方をしますが、ライバルは敵なのか?
一方で、競争があるからこそ人は勝とうとして能力を向上させようと思うようになるのではないか、という考え方も成り立つはずだ。相手と競争するのではなく、相手が作り出してくれる“障害”、や“課題”と競争し、挑戦すると考えられれば、競争を肯定的に受け止めることができるはずだ。

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自尊心と切磋琢磨(2) [日記]

自尊心の低い人は常に他人と比較・競争しようとする。
他人と比較して自分の出来栄えを判断しようとすると、判断基準は他人になり、自分が他人の水準に達しているかどうかを見ようとするものです。したがって常に他人の出来栄えが気にかかることになります。そして、自分の出来栄えが他人よりよければ優越感をもって喜び、悪ければ劣等感をもって悔しがる。決して建設的な感情はもてない。このような人が他人と競争するときは、勝つことが目的となり、他人が失敗しても喜ぶことになる。勝ちさえすればよいのだ。

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自尊心と切磋琢磨 [日記]

最近自尊心について書いたり、話したりすることが多くなった。
自尊心の高い人は、他人と比較しないで自分の生き方(価値観)を貫こうとする。
それは、他人から学びたくないということではなく、むしろ他人と向き合って(正対して)、「われ以外みなわが師」(吉川栄治)の例えのように学ぼうとする。その態度は、競争して勝負をつけるということではなく、文字通り「切磋琢磨」ということです。
そして、他人とはそれぞれの違いを尊重し、切磋琢磨することでそれぞれが成長することに価値を見出そうとするのです。そこには勝ち負けはありません。自分が成長すれば勝ちであり、成長しなければ負けになります。そこにあるのは時間軸の中での自分の成長を判断しようとする態度です。他人との比較は関係ありません。ここに他人との比較が入ってくると、ややこしくなってくる。


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