セカンドライフ(6) [セカンドキャリア]

そのワラジは自分のものでなければならないのです。たとえ脱いだワラジが履き慣れたものであっても、今度こそ自分のワラジを履かなければならないのです。そして、閉まってしまった扉の向こうを振り返っても何も得られません。前に向かって自分のワラジを履いて歩くしかないのです。
好きなこともなく、毎日が日曜日の生活をしていると、なんとなく老後の30年を過ごしてしまうことになりかねません。極端な言い方をすると、1日の生活を30年繰り返すことになるのです。
それでは、「生きている」ことはできても、将来に向かって「生きていく」姿ではありません。希望もありません。
生きている状態と言うのは、生物的に生きているだけで、死んでいないだけです。「生きる屍」という表現がありますが、そういう状態で生きているのです。
ところが、私たちは将来に向かって生きていく存在なのです。それは朝起きたときに「今日はやることがある」と思える生き方ができることです。